Twitterについてじっくり考えてみた。

つい最近Twitterを始めた知人に、Twitterを開いたら私の顔がずらっと並んでいてキモいと言われました。全裸のお前の人形(右上参照)なんか誰がみたいんだこの2次露出狂めはやく目の前からうせやがれ(意訳)とばかりに。

おかしい。人形がキモいのかモデルがキモいのかという論点は避けるとしても、私はそれほど頻繁につぶやいているわけではありません。休日などに時折連続でつぶやくこともあるけど、せいぜい3、4つ。所々のアクセントとしてのキモさのはずですが。

ショックをうけつつ知人のアカウントを見たところ、フォローしているのは7人。なるほど、彼のタイムライン(以下TL)には、たしかに私のつぶやきしか並ばないですね。

私がフォローしているのは170人前後。数時間でTLが一新されていることもよくあります。知人と交流したり、Matt CuttsやDanny Sullivanといった海外のSEOのつぶやきから情報を拾ったり、同僚のつぶやきを深読みしたり、Twitterでしかつながりが無い人たちのつぶやきを楽しみ、参考にしたりと、色々と有意義なTwitterを楽しんでいます。しかし、知人のTLではただ全裸おじさんの人形がぼつぼつ呟いているだけ。

これは面白い。同じWebサービスを使っていても、自分と、自分以外ではまったく別のサービスをつかっているようなことは本当に面白いことと、私には感じられました。

私がTwitterを始めたのは今年の3月頃。話題になりはじめたWebサービスで、ひとまず使ってみようと始めてから、なぜか続いて今日に至ります。でも、このサービスについて、私はどうも納得できないことが多いです。こんなサービスでは、話題もすぐに終わるだろう、最低でも日本では根付かないだろう。と思っていました。

でも、最近色々と考えてみると、このTwitterは多くの欠点を抱えていても、やはりこれまでにない可能性と魅力をもったサービスだと思うようになっています。

Twitterの欠点

Twitterは、最近の人気Webサービスで、ここまで完成度の低いものはないよなあ、と思ってしまいます。

まずは、サービス停止が多すぎます。誰かのつぶやきにあったリンクを辿ろうとアクセスするとくじら。良い写真が取れてつぶやこうとするとくじら。ちょっと話題になる事件がおきるとくじら。なにもなくてもくじら。くじら。くじら。

ここまでサービス停止に遭遇するWebサービスは10年振り、思うほどのくじら率です。それでもTLでは、それに文句も言わずにイベントのように楽しんでいるようにも見えて、文句はほとんどありません。なんて寛容な!

それに、重要な使い方も多くがユーザが勝手につくったもの。RTや@前のピリオドなど、本当はシステム対応していてもおかしくないのでは?とおもうことばかり。その使い勝手の悪さを、どうにかGreaceMonkeyなどのマクロや、APIでカバーしてどうにか使っているような印象です。なので、RTなどは人によって記述方式がちがったりもしますよね。

そして、Twitterの魅力として語られることの多くは、どうも私には「?」がつくことが多いです。最強の情報伝播力、千差万別な思想のカオス、最も早い情報源・・・それは、フォロー数が数百を超えたような人にしかあまり感じられない魅力ではないかと思います。そして、そんなフォローはあまりに敷居が高いです。

前述しましたとおり私のフォロー数は現在170強。それでもTLを全部追うのは辛く、自宅の24時間立ち上げているPCにTweetdeckを入れて、帰宅してからチェックしています。会社でもTweetDeckをインストールできればTLを追えるのでしょうが、それが許される会社のほうが少ないでしょう。RSSリーダー複数アカウントの併用、という方法を取らないと、追いたい人を追うこともできません。

Twitterの魅力として語られるマイケルジャクソンが亡くなったときのニュースでも、私はTwitterの速さの魅力より、この記事にあるようにTwitter、もしくはCGMの限界を感じました。

こちらの記事によると、100人以上フォローしているのは全ユーザの7.6%。それ以外の人には、Twitterの魅力とはなんなのでしょうか。

まとめると、サービスは不安定で未完成で、独特な魅力を感じるためには人を選ぶ、そんなツール。それが私のTwitterの印象でした。

フォロー数で変化するメディア特性?

Twitterについて、面白いつぶやきがありました。もう流れてしまい詳細は忘れましたが、Twitterはフォローの数で特性を変えるメディアだというのです。思い出すのをあきらめて考えてみると、以下のようなことでした。

いい得ていると思います。以前、国内外のTwitterの使い方を調べてみると、様々な使い方がされていました。8人グループのうち7人までが全員フォロー数8で、それぞれを相互フォローしているだけの人、発言の殆どが@付きだけの人、一切@やRTを使わずにつぶやき続けている人、多種多様でした。たしかに、人によって媒体が違うような差があります。

でも、これが正解ならば悲しい事態。数パーセントの人しか、Twitterの本当の魅力を体験できていないことになるのですから。私も含めて。

・・・と、考えたところで気づきました。今の私のTLは「面白い人・興味深い人が集う掲示板かSNS」というのが一番納得できる内容です。でも、私は最初に述べたようなメッセンジャーとして使われているTLの一部であって、また、数千人フォローしている人のTLの一部でもあるのです。

そして、私はTwitter掲示板・SNSとしてということと同様に、メッセンジャーとしても使っていますし、また、これまでにないメディアの息吹も感じていることは確かです。

これはなんなんだろう、と考えていて思いついたことが。

mixiの人間のつながりを図示するmixiGraphというソフトがありました。下のように、mixiのつながりを図にするものです。mixigraph

これのTwitter版はどうなるのだろう、と想像した図、mixiGraphより複雑で、一方通行もありえるフォローグラフとでもいうものでしょうか。それは、私から広がった百数十本の線が、それぞれの先でメッセンジャーとしてのコミュニティや、SNSとしてのコミュニティとして広がっていて・・・そして、いくつかの数千といったつながりがあるカオスもある、というグラフの姿でした。これは・・・面白いぞ。

私が考えるTwitterの可能性

Twitterを、それぞれのノード、Twitterer(つぶやく人)で考えずに、「ついったらー」が集まった異なる性格を持つコミュニティの集合体と考えると、非常に斬新で、面白く思えてきます。

異なる話題という次元ではなく、使われ方自体が異なるWebサービスが、相互に関係しながら共存している場所、それがTwitterなのではないでしょうか。

そして、そのキーになるのは、ハブとなる人、そして、「RT」だろうと思います。

新たなメディアとしてのTwitterを活用している人、それらの人が得る情報と楽しさを、コミュニティ間の橋渡しとなるような「ハブ」の人が、RTで別の楽しみ方を持つコミュニティに届けることができるのであれば。いろいろな限界は取り払われて、本当にこれまでにない大きな可能性がある、そう思えてきました。

なにやら、RTは近いうちにシステムで対応されるみたいです。どう実装されるのかはまだわかりませんが、おそらくは今後、さらにRTで新しいメディアとしての魅力を、私も含めた多くのユーザも感じられやすいようになるのかもしれません。

じゃあ、ハブは、というと、われわれアーリーアダプターの役目なんでしょうか。

ひとまず、RTしとくことにします。これをお読みの方で、Twitter経由の方!まずはこれをRTしてみてはっw

結局・・・まだわかりません

私には、やはり今のTwitterはいろいろと難しいWebサービスとしか思えません。ちょっと前まで、そろそろ控えめにして別のサービスに目を向けるか、とも思っていましたが、今ではもうしばらくは目を離せない、と考えています。

まだ、わかりません。Twitterが一部の人だけが使うものに留まり、すぐに忘れられるものになるのかもしれませんし、一部の人が予想するように重大なインフラになるのかもしれません。ひとまず、もう少し様子が見えるまで、つぶやいてみることにします。

私をフォローしている方々。もうしばらくはキモい全裸人形をご容赦くださいませ。